
感想 ★★★☆☆
『その女アレックス』で日本でも一躍有名となったピエール・ルメートルのデビュー作。前作『その女アレックス』と同様、衝撃的な作品と評価されているようです。
その証拠に海外の各種ミステリ賞を受賞していますし、日本での評判も上々。
『その女アレックス』の感想記事でも書きましたが、この作品に対して抱いたのも同じで、大騒ぎするほどではない、というのが正直なところ。
今回はこの小説をネタバレありで徹底考察しようと思います。
※記事の中盤以降にネタバレがありますので、未読の方は注意して下さい。
人もまばらな郊外の住宅で、若い女性二人が惨殺される事件が起きた。その現場を目の当たりにしたカミーユ警部たち捜査員は、一様に顔を歪ませた。常軌を逸した凄惨さだったのだ。
さらに拷問の限りを尽くされた遺体には、己の存在を誇示するかのように、指紋のスタンプも残されていた。
やがてそのスタンプがきっかけとなり、過去の未解決事件との繋がりが判明する。そちらも目を覆いたくなるほど酷い有様で、同一人物による犯行は明らかだった。
この犯人を野放しにしてはいけない。カミーユたちは決死の捜査を続ける。その結果、この犯人が犯罪小説を再現しているのが明らかとなる。過去に同様の事件が起きていないか調べてみると、次々と発覚する。
カミーユたちはこの異常な犯人を捕まえるべく、危険な捜査方法をとる。徐々に犯人に迫っていく中、犯人は次のターゲットに狙いを定めていたーー。
『悲しみのイレーヌ』を絶対最初に読んで下さい
これは声を大にして言いたいですね。必ず最初に読む必要があります。
『悲しみのイレーヌ』はカミーユ警部三部作の一つで、他の二つは『その女アレックス』と『傷だらけのカミーユ』。時系列では『悲しみのイレーヌ』、『その女アレックス』、『傷だらけのカミーユ』の順です。
母国フランスではその通り刊行されているのに、日本では『悲しみのイレーヌ』よりも『その女アレックス』の方が先。そして困ったことに、『その女アレックス』で『悲しみのイレーヌ』の大事な結末が、普通にネタバレされているのです。
『その女アレックス』は各種ランキングで1位を獲得するなど、日本でもかなり話題になりました。そのため、本作よりも先に読んだ人が大半だと思います。
僕が『その女アレックス』を読んだのは随分前で、細かい部分は忘れていましたが、この結末に関しては覚えていました。だから、面白さが半減したのは否めないですね。これからこのシリーズを読もうと考えている人は、絶対に本作を最初に読んで下さい。
なぜこの順番にしたのか理解に苦しみます。おそらく、ここまで人気になるとは思ってなかったんでしょう。だから、とりあえず一番評価の高い『その女アレックス』を出版してみて、反応をみて、もし駄目ならその一冊だけで終わりと、そういう戦略だったのでしょうね。
シリーズ全部を刊行する気なら絶対に順番通りにしたはず。他に何か理由があるなら教えて欲しいくらい。
これ以降はネタバレありです
犯人が再現している小説は架空のものではなく、僕たちの住む現実世界に実際に存在します。
クルブヴォア事件 『アメリカン・サイコ』 ブレッド・イーストン・エリス
トランブレ事件 『ブラック・ダリア』 ジェームズ・エルロイ
グラスゴー事件 『夜を深く葬れ』 ウィリアム・マッキルヴァリー
コルベイユ事件 『オルシヴァルの犯罪』 エミール・ガボリオ
ウルク運河事件 『ロセアンナ』 ペール・ヴァールー&マイ・シューヴァル
この中で僕が読んだことあるのは、『ブラック・ダリア』だけでした。『アメリカン・サイコ』の映画は見ていますが、原作は未読。
『ブラックダリア』の感想は、こちらの記事で詳しく書いています。ジェームズ・エルロイは数奇な人生を送っている人。興味をもたれた人は記事を読んでみて下さい。
映画版『アメリカン・サイコ』はだいぶ昔に見たのでうる覚えですが、犯人がサイコパスで殺害シーンがグロかったという印象があります。ただそうは言っても、本作『悲しみのイレーヌ』で再現されているほどではありません。
どうやら原作は相当グロテスクみたいです。そんな殺害シーンばかりだったら、かなりの問題小説だと思いますが、よく発禁にならなかったものです。
それどころか結構売れたらしいし、映画化までされています。ただグロいだけの小説ではないのでしょうね。
驚きのトリック
この作品が衝撃的な小説と評される理由は、主に三つあります。
一つ目は犯行の動機。なぜ犯人はこれほど異常な殺戮を繰り返したのか。読んでいる最中、誰もがその理由を知りたくなります。そして終盤に明かされる動機ですが、それは
〝自分が過去に書いた小説の犯行を再現し、ベストセラーにすること〟
でした。有名作品の犯行を再現することで世の中の注目を集め、最後の締めくくりとして、自分の小説を再現をする。確かにこうすれば売れるのは間違いなさそうです。
かつて犯人が出版した小説はまったく売れず、自分を認めなかった世間に対する復讐心もあったのかもしれません。それで、猟奇的な作品をピックアップして世間を震撼させた。
そういうことだろうと僕は認識しています。承認欲求もテーマとなっているように感じます。
SNSを見れば明らかなように、誰しも持っている承認欲求。マッチポンプ、自作自演によって注目を集めようとしている人は、少なからずいます。それが行き過ぎると、これほど恐ろしくなるのかと、恐怖を感じずにいられません。
二つ目は小説としての仕掛け。叙述トリックですね。本作は第一部と第二部に分かれており、全体の8割くらいが第一部に当てられています。
そしてその第一部、実は犯人が書いた小説だったのです!
最初それが判明した時は、おお! と思いました。ただその後が残念。理由は後ほど。
三つ目は容赦ない結末。エンタメ作品、特に映画では顕著ですが、最後は主人公が犯人を倒してヒロインを救うものです。しかしながら本作では、犯人にヒロイン、つまりカミーユ警部の妻であるイレーヌが殺害されます。
それも、これまでと同じような残忍な方法で。これはかなり衝撃的で後味も悪いです。ただこれに関しても言いたいことがあります。
『悲しみのイレーヌ』の悲しい点
さて、次は残念に感じた部分。それはいくつかあります。まず最後の衝撃の結末について。これに関して僕は衝撃を受けなかったです。なぜなら知っていたから。おそらく僕以外にもそういう人は多いと思います。
先に『その女アレックス』を読んでしまった場合、カミーユの妻のイレーヌが死ぬことは知っています。だから絶対に先に読むべきと申したわけです、はい・・・。これは本当に悲しいですよ。
それとタイトルの『悲しみのイレーヌ』もどうかと思う。このタイトルだと『その女アレックス』を未読だったとしても、予想がついてしまうのでは?
カミーユがどれほどイレーヌを愛しているか執拗に描写されているし、二人のシーンにも結構ページ数が割かれています。分かり易いフラグですね。この時点で何かあるな、と思いそうなものです。
イレーヌが犯人に拉致されるに至ったら、悲しい結末をさらに予想しやすくなるはず。だから違うタイトルにした方が良かったんじゃないかと、個人的に思いました。
続いて叙述トリックについて。厳密にいうならこれは叙述トリックになっていません。というのも、その後の第二部でどんでん返しがないのです。せっかくこんな面白い構成にしているのに、それが生かされていません。
犯人の創作である第一部ではこう書かれていたが、本当はこうだったというのがないのです。
些細な部分であるにはあります。カミーユがこんなに優しくないとか、イレーヌとの出会い方が違うとか。でもそれはやはり些末な違いであって、第一部との相違点をトリックとして、意外な結末を作ったりはしていません。
それがないため、極論を言えば第一部を犯人の小説にしてもしなくても、別に変わらないのです。
実際の捜査状況が犯人が書いた通りに進んでいるなら、ミステリ的にはこうする必要性がどこにもない。何だかもったいないなあと思った次第。
例えば、イレーヌは実は中年女性だったとか、カミーユは実際には背が高かったとか、そんな感じで差違を出して、それによって予期せぬ展開を迎える、という風にして欲しかったです。
犯人の動機についても、ミステリファンならそこまで意外と感じない可能性もあります。実は日本人作家が書いた某有名作品に、同じような動機の作品があるのです。
念のため反転で書いときます。連城三紀彦の『戻り川心中』です。
そして、読んでいて頭を過るのが、映画『セブン』。類似点がいくもある。
両方とも猟奇殺人だし、主人公は刑事。『セブン』の方は七つの大罪を再現しており、『悲しみのイレーヌ』は小説。どちらも書物です。
さすがに犯人が新聞記者なんてことはないだろうと思っていたら、まさかの新聞記者!
そのことにビックリしました。加えて、最後に主人公の妻が惨殺されるのも一緒。
いくら何でも似すぎじゃないでしょうか。そのせいで驚きを得られなかったのもあります。犯人に意外性は全く感じませんでした。
カミーユの捜査方法にも首を捻らざるを得ません。犯人と接触するために広告を利用するのは良いとして、自宅の住所を載せるのは理解に苦しむ。
この犯人がヤバすぎるのはわかりきっているのに、そんな真似をするなんて納得しかねます。
自宅には身重の愛する妻がいるのです。それなのに、次々と女性を惨殺している犯人に自宅を教えるなんて、どう考えてもおかしい。
この点にご都合主義を感じてしまいます。ラストで犯人にイレーヌを殺させるために、物語の都合上こうしたのでしょうが、安直だと思う。
フランスの警察事情は知りませんが、担当刑事が犯人に自宅を教えるなんて不自然です。犯人とイレーヌが接触する方法は別に考えてほしかった。
その他にも細々した不満点があります。
カミーユが不動産屋のコッテを急に疑ったのは何故か。探偵役が唐突なのは、ミステリではお馴染みなので問題ありません。でも、そうするならその理由をきちんと分かり易く説明して欲しい。
それはルイが真犯人に気付くシーンにも言えます。ルイは何故いきなりチャブの名前を、フランス語に翻訳しようと思ったのでしょう? どちらにも伏線らしきものがなかった。
さらにあげるなら、いったい何人死ぬんだってくらい人が死にます。小説を再現するために殺すし、口封じのための殺しもやります。
それだけやりたい放題やっているのに、手がかりがまったく掴めないというのも、ちょっと都合良く感じてしまいます。
最後に
以上のようなことを考えると、本作はミステリ小説ではなく、あくまでノワール小説という感じですね。恐怖も感じるし、ノワール小説としては良いと思います。ただ、色々と欠点が多いのも事実。
こうして改めて考察してみると、出版社が『その女アレックス』を先に刊行したのも、あながち間違ってなかったのかもしれませんね。
ピエール・ルメートル/橘 明美 文藝春秋 2015年10月09日
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